カテゴリー: 気持ち

  • 感じたままに動いて、やってみる

    2023年最後のお仕事。

    おつかれ様です。

    今年もいろいろあったなあ。

    あっという間だった。

    なんて、毎年同じことを言う。

    いろいろって具体的に何なんだよ。

    個人的なことすぎて……

    このブログは個人的なものだろ。

    でもまあ、一応自分以外の人にも読んでもらえているわけで……

    え? うそ! マジで!?

    マジマジ……

    はーい、というわけでね、今年もあと2日となってしまいましたが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

    体裁を取り繕おうとすな。

    いや、だって。

    いいんだよ……このままで……

    アカンやろ! もうちょっとこう、アレしていかな!

    アレって?

    アレはアレや。ほら、アレ。

    ああ、アレ……

    アレや、な!

    ……文字数稼ぎ?

    ちゃう!

    と、いうわけで。

    私にもまだ、向上心というか、現状を改善すべきという意識があるようで。

    自分のために情報や知識を残すにも、もっといい方法があるんじゃなかろうかと、思案している。

    しっかしなかなか、通勤途中に、ガッツリ頭をフル回転させて、文章を書いていくのも、結構疲れる。

    ゆえに、思考をダラダラと垂れ流す文章が多くなってしまっている。

    それはそれで。

    構わない、と思うなかれ。

    それは惰性だ。

    惰性が悪いわけではないが、それは楽しいかい?

    面白いかい?

    最近なんとなくモヤモヤしているのは、つまりそういうことなんじゃないのかい?

    「惰性で生きる 意味」と検索すれば、以下の記事がトップに出てきた。

    https://goal-b.co.jp/magazine/daseiyameru_method/#:~:text=%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%B8-,%E6%83%B0%E6%80%A7%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AF,%E5%8B%A2%E3%81%84%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

    惰性で生きるのをやめるには、まず小さい目標を持つこと、ですってよ。

    惰性でやってるのは、目標がなくて、思考が停止して、変わろうと考えていないから、ですってよ!

    今の自分だよね!

    変わろうと思考を働かせて、小さい目標を立てなきゃ。

    そうして少しずつ変化していかなきゃ。

    きっとそっちのほうが、ずっと面白い。

    ………。

    うーん。

    わかっているつもりなんだがなあ。

    つもり、では、どうにもならんものだ。

    むつかしく考えすぎる。

    まずは、過去にそういう自己啓発で学んだことから、文章でまとめてみたら?

    知ったつもり、学んだつもりになっているだけでは、まとめるのも大変だろうけど。

    いやでもなあ。めんどくさいなあ。それって何の意味があるかなあ。

    なんて、考えているんじゃないだろうな!

    考えている!

    そういうとこやぞ。

    思考停止しているっていうのは。

    疑問を抱くな、疑いを持つな、考えるな。

    感じたままに動いて、やってみろ。

    いい感じなら続けて、なんか違うなら変えていけ。

    そうやって進んでいくことでしか、今のモヤモヤは晴らせないんじゃないか。

    じゃないか? じゃない。

    晴らせないんだ。進むことでしか。

    今もそうだよな。

    とりあえず書き進めていたら、モヤモヤがちょっとスッキリした。

    感じたままに動いて、やってみる。

    私には、それがちょうどいいのかもしれない。

    いい感じ!

    いい気持ちで年越しできそうだ。

    ありがとう。

    それでは、お達者で。良いお年を。

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  • メリークリスマス!って感じではないけど、盛り上がっている脳内会議

    メリークリスマス!

    ブログを書いているということは?

    そう、今日もお仕事さ!

    はあん。

    昨日はクリスマスイブ。

    しかし、浮かれていると体調を崩しそうなので、自宅で安静に過ごした。

    エアコンの暖房ぬくぬくで、昼前まで寝てたし、ゲームしたし、映画見たし、Uber Eatsで美味しいご飯も食べた。

    つまりはダラダラ過ごしたってことだけど、これはこれで、いい休日だったのではないかな。

    ……そう思うでしょう?

    思ってしまうよね。

    いいの、いいのよ。

    いいんだけど。

    後回しになっているやりたいことをやるっていう約束は、どしたん?

    どうしたんだろうねえ。

    昨日は、とても幸せな1日だったよ。

    私はそれを一番望んでいる。

    今日も1日、幸せを感じて過ごした。

    この尊い事実を噛みしめることこそ、私が最もやりたいことだ。

    後回しになっていることは、大して重要なことではないのではないか。

    やりたいと思えば、身体が勝手に動くだろう。

    やりたいことに億劫になっているなら、それはやりたいことではない。

    やりたくないことなんだろう。

    それを無理してやろうものなら、君はそれをイヤなものとして、扱い続けることになる。

    ずっとね。

    じゃあ、

    どうして私は、そのやりたいことを、ずっと、やりたいと思っているの?

    憧れ? 尊敬? 羨望? 

    そのどれも。

    それらの感情は、やりたいことを見つけるにはピッタリのもの。

    原動力みたいな。

    憧れがあるから、始めることができる。

    いや、始めるきっかけ、になる。

    きっかけを掴んで、実際にそれをやり始めなくちゃ、ダメなんだな。

    でないと、時間が経てば経つほど、やりたい気持ちが萎んでいく。

    どんどん、どんどん、やるのが億劫になる。

    やりたくない、になる。

    本当は、やりたかったのに。

    まあ、それも人生さね。

    自分が選んだ道。進まなかった道。

    どのみち、文句を垂れるのも、褒め称えるのも、自分である。

    どっちがいいなんて、分からない。

    正解かも、間違っているかも。

    後悔だけはしないように生きろ。

    よく耳にする言葉だが、後悔のない人生なんて、クソつまらないと思う。

    私は、ね。

    悔いが残るからこそ、私が私でいられる。

    やった後悔も、やらなかった後悔も、等しく、自分だけのものだからだ。

    本当はやりたかったのに?

    そう思うなら、今すぐ始めなきゃ。

    君に少しでもその気持ちがあるなら、私はそのことについて、考えることをやめない。

    どうやったら始められるか。

    楽しんで続けられるようにするには、どうすればいいのか。

    それはもう永遠のテーマとして、考え続けようじゃないか!

    答えはすでに用意されているけど。

    過去に同じような人が、同じように悩み、同じように解決策を出してきた。

    私もそれらを本で読んできたし、理解しているつもりである。

    それでも、始められないものは始められないのだから、自分が納得できる答えを導き出さなくてはならない。

    そんな気がする。

    さて、年末だ。

    今年の年末年始は、お仕事詰め。

    働かなければ食っていけない。

    これも自分で望んで選択した道。

    働きつつも、やりたいことを始めるには、それはもう徹底的にハードルを低くしなければ、とてもやってられない。

    いろんな言い訳や文句も出てくる中で、いかに自分をその気にさせるか。

    いや、それを始める動きをさせるか。

    ……私はいったい、何がしたいんだ?

    まずはそこからか?

    はあん。

    キリがない。

    なんか楽しみたいだけなのに、なんでこんなに考えなきゃいけないだ!

    誰だ! こんなに考えようとさせるのは!

    君か! 俺だ!

    私だ! 僕です!

    誰だ、お前は!

    全部、私だ。

    なら、しゃーない。

    とことん、付き合ってやるか。

    今日このへんで、

    それでは、お達者で。

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  • モヤモヤした気持ちを吐露してセルフカウンセリング

    昨日は寒すぎて、頭が働かなかった。

    上下ヒートテックと背中に貼るカイロ。

    裏起毛のトレーナーに防風のパンツ。

    いつもより更に厚手のダウンも着た。

    にも関わらず。

    ハチャメチャに寒かった。

    いや、痛かった。

    何がダメだったのか見当がつかない。

    あんな寒さ、どう足掻いても風邪引いちゃうよ!

    野菜ジュースで不足分の栄養を補っておいた。

    マジで風邪引かないように、気をつけたいけど、あんまり意識しすぎるとしんどいから、ほどほどに。

    ってなわけで。

    私は、ほどほどを望みがちだ。

    いったい何の話だって感じだが。

    昨日の夜、また海外ドラマの『S.W.A.T.』を見た。

    と言っても、適当なシーズンの適当なエピソードを流していただけ。

    でも、やっぱり程よく面白いので、話に引き込まれた。

    簡単にまとめると、SWATの元リーダーである男が自殺を考えていて、彼にお世話になった今のSWATメンバーは、それを止めようと奔走するって話。

    引き込まれたのは、SWATメンバーがカウンセリングを受けているシーンが、挟み込まれる演出があったから。

    メンバーの一人ひとりが、その日にあった事件や出来事と、抱いた感情、苦しみや憎しみ、悲しみを吐露していく。

    出来事の全容は明かされず、エピソードの最初と最後、さらに要所々々で、カウンセリングのシーン入れることで、話が進んでいった。

    一番気になるのが、元リーダーの男が自殺してしまうのかどうか。

    ネタバレになるが、

    SWATメンバーの尽力あって、元リーダーの男は自殺を思いとどまった。

    さらに見入ったのは、最後の最後にSWATメンバーの一人、ディーコンと呼ばれる男のカウンセリングシーンである。

    彼もまた、自分の人生に疲れて、一度自殺を考えたことがあったらしい。

    彼には妻と4人の子どもがいて、周りから見れば、素敵な家族なのだが。

    借金があったり、それを返済するために副業したり、いろいろ苦労があったようだ。

    身体がひどく疲れると、心も病んでいく。

    そんな当たり前だけど、気がつきにくい事実を考えさせられた。

    何を隠そう私も一度、脳裏をよぎったことがある。

    記憶が曖昧だが、死にたいと思ったからこそ、今の自分がいる。

    そう思えるようになった。

    ……何の話だったかな?

    私が今日書きたかったことに戻る。

    私がほどほどを望みがちなのは、頑張ることに疲れたからだ。

    SWATの元リーダーも、ディーコンも、ドラマの中の話だけど、同じだと思う。

    頑張りすぎなのだ。

    頑張る、という言葉はむつかしい。

    自分を追い込みすぎ、というほうが分かりやすいかもしれない。

    俺は全然、頑張っていない。もっと頑張らないと。誰の役にも立っていない。こんなんじゃダメだ。

    身体が疲れているはずなのに、さらに心も追い詰める。

    自分の心身を無視して、さらに追い込む。

    ついには。

    これは私の想像でしかない。

    実際は、もっと複雑だろう。

    ニュースで自殺という文字を目にする度に、同じようなことを考える。

    当人だとしたら、その一線を越えてしまう要因は何だったのか。

    知り合いだとしたら、思いとどまらせるには、どうすればよかったのか。

    私の場合、自分を追い込みすぎていることに、気づかされた。

    だから、思いとどまることができた。

    これが、昨日の夜、海外ドラマを見て、今朝、導き出された1つの答えだ。

    気づかされる。

    なんでも良い。

    人から、本から、ネットから。

    綺麗な朝日から、道端の雑草や石ころから。

    ふとした瞬間に、気づかされることが、思いとどまる一因であるように思う。

    自分から気づくのではない。

    自分は、自分以外の何かから、生かされているのと同じように、気づかされるのだ。

    何なのだろう、この感覚。

    気づかされたからこそ分かる感じ。

    こんなん分かったところで、何の役にも立たないのだが。

    むしろ、気づかされず生きている方が、真っ当な人生である気もする。

    なぜなら、ほどほどを望みがちになってしまうから。

    頑張りたくても頑張れない。

    それでもいいじゃない。

    そう思って、今日もまた昨日と同じ。

    代わり映えない日常のくり返し。

    それも幸せと感じられるのは、良いことである。

    でもやはり、漫然と過ごしているだけでは、物足りず。

    このモヤモヤした気持ちを書き留めたくなった。

    にしても。

    話があっちゃこっちゃ飛ぶなあ。

    結局、自分はどうしたいのかを書きたい。

    やりたいことをやっていこう。

    やりたくても、なんとなく後回しになっていることとか。

    見直していこう。

    そんな気持ちだけが独り歩きして、上記の通りである。

    ほどほどを望んでいても、目標を持って、それに向かって、ほどほど頑張るのもいいだろう、ってこと。

    なんだよ、ほどほど頑張るって。

    面白いからいいや。

    まとまりまへん。

    今日はこのへんで。

    それでは、お達者で。

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  • ゲーミングチェアが届いたのと、締め言葉について

    今朝は寝起きダルダル。

    体が重かった。

    モーニングルーティンをこなしたら、平気になったけど。

    昨日は、妻のゲーミングチェアが届いた。

    お誕生日には、まだ少し早いけど、ハッピーバースデープレゼント。

    置き配にしてたのだが、大きすぎて、帰宅したときのインパクトがすごかった。

    そして、めちゃ重い。

    これを上の階まで運んでくださった、配送業者様には申し訳ない気持ちになる。

    ありがとうございます。

    申し訳ないこと続けに、もう一脚注文している。

    すみません。助かります。

    ご飯を食べたあと、さっそくゲーミングチェアを組み立てた。

    パーツ一つ一つがしっかりしていて、そりゃ重たいはずだと納得。

    ネジと六角レンチも付属しているので、説明書に従って作業を進める。

    作業としては簡単なのだが、なんせ座面も背面も重たいもんだから、いちいち「よいしょっ」とか「ふんっ!」とか気合を入れないといけない。

    妻と協力できたからよかったものの、1人で組み立てるのは、かなり大変だと思う。

    途中、アームレストの向きに戸惑いつつも、1時間程度で完成。

    さて、座り心地ちのほどは……?

    めっちゃいい! 最高やないか! とのこと。

    うんうん、よかった、よかった。

    私もちょっとだけ座らせてもらった。

    座面、背面ともにクッションは硬めで、しっかりしている印象。

    こ、これがゲーミングチェア……良い! と静かに感動した。

    自分のチェアが待ち遠しい。

    ただ1つ問題が。

    デカい。

    いや、部屋と机が狭いのか。

    サイズは机の幅に、ほぼピッタリ。

    机の両側を棚で囲ってあるので、棚と棚の間にみっちり収まっている。

    この状態だと、アームレストと背面が棚にぶつかって、回転しづらい。

    机から後ろに下がれば、なんとかなるだろうけど、慣れるまでは大変かも。

    なにはともあれ、妻の満足そうな笑顔を拝むことができて良かった。

    自分のも満足できるチェアだったら嬉しいねえ。

    それでは、お達者で。

    あ、そういえば。

    この最後の挨拶的な「お達者で」というのが、今生のお別れではないよね? というお問い合わせをいただきました。

    ありがとうございます!

    これはですね。

    未来の自分や読んでくださっている方への、お別れの挨拶です。

    ちょいとややこしいんですけど。

    今、これを書いている私は、次の瞬間、過去の私となります。

    昨日まで書いてきた文章は、過去の自分のもの。

    過去の自分と今の自分を別人として捉えているわけです。

    そんな過去の自分から、未来の自分に向けて、「元気でいてくれよな」「達者でな」というメッセージを送ることは、後で読み返したときに、嬉しいかなと思いまして。

    …………。

    という、さもありそうな理由を考えてみたのですが、どうでしょうか。

    本当のところは。

    もし今後、また急に、自分がこのブログで文章を書けなくなったときのために、締めの挨拶だけは、ちゃんとしておいた方がいいかなと、少し思っただけです。

    わたくし、気分屋なものですから。

    それで文言はどうするか考えたとき、「またね」とか「さよなら」とかは、無責任すぎるよなあ、と。

    また会えないかもしれないし、はい、バイバイでは薄情すぎます。

    「達者でな」「お達者で」という言葉は耳にしたことがあって、ちゃんと意味を調べたら、とてもしっくりきたので、これを使うことにしました。

    誤解を生む言い方で申し訳ないです。

    でも、お達者で、と言われても、明日また会えたら嬉しいよね。私は嬉しい。

    お達者で、と言われて、それっきりでも、あの人は元気かなあ、くらいで、それほど心配にもならんでしょう。知らんけど。

    続いていく日常であれど、一つ一つ区切りをつけたい。

    そんな気持ちの表れです。

    あ、ちなみに病気とか、余命何ヶ月とかではないです。

    まったく健康で、このまま100歳までいっちゃう勢いで元気です。

    100歳になったとき、この文章を読み返して、「達者じゃよお!」なんて言えたら素敵だなと、そう思うわけであります。

    今日は昨日より暖かい1日になりそうです。

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  • 検査結果、異常なし。次に進むために、書き残しておきたいこと

    昨日、妻と私の検査結果が出た。

    特に異常なしだった。

    何か難しい項目が基準値より低く、血行をよくする必要はあるものの。

    葉酸や漢方、薬を服用することで、改善できるとのこと。

    何の検査か。

    妊娠に関する検査である。

    この検査結果によって、ようやく次の一歩を進めることができる。

    その節目に、書き残しておきたいことがあるのだ。

    妻と私は、今年(2023年)のうちに、2回の流産と2回の手術を経験した。

    3月のメモ

    以下は、私が今年3月にスマホに残した文章である。

    一応、日付は伏せておく。

    2023/03/XXの出来事

    妻の健診
    お腹の中を見ると、袋だけが大きくなっていて、赤ちゃんの姿がなかった
    7週に入ると、胎児の心拍が確認できるらしい
    妻の場合、それがまだだった
    それは、つまり
    来週、もう一度確認することになった

    家に帰ると、妻はじゃがりこを食べ始めた
    二人とも無言で、じゃがりこの咀嚼音だけが部屋に響く

    妻はスマホで、今の自分の状況を調べた
    6週 心拍 確認できない
    7,8週にならないとまだ、わからないこと
    流産の可能性があること
    他にも同じように検索したり、不安になっている人がいる
    妻は頷いていた

    妻は泣いた
    私も呆然としていた
    どういう言葉を発するべきかわからなかった
    ただ、無理に励ますことはせず、寄り添うことを心がけた
    悲しい、悔しい
    まだわからない、いやたぶんダメだろう
    今回ダメでも次がある
    それでも、私から先に、自分の気持ちを言ってみた

    すると、妻も話してくれた
    袋の中が何もなくて、驚いた
    自分ができるのはここまでなのか
    ズボンがきついのに、変えなかった、お腹が苦しかったのに
    自転車に乗ってしまっていた
    葉酸を取らなかった
    もっとできたことがあったのではないか

    自分を責める
    でも、妊娠初期の流産は、受精卵の問題と聞いた
    母のせいではない、と
    わかっているだろう
    それでも、そう考えてしまうのは、母だからか

    力が抜けた、妻はつぶやいた
    自然と涙が出てくると言った
    前向きにならなきゃという気持ちもある
    変なテンションになる

    妻は私との子どもがほしいと訴えた
    二人ほしいと
    私は頷いた(泣いて話していたので、子ももになっていたのはお互いに少し笑った)

    無理しなくていいと言った
    私には晩ごはんのパスタと発酵しないフォカッチャを作ることしかできなかった

    二人でボロネーゼを食べて、お風呂にも入らず、すぐに眠りについた

    〈別の日〉

    やはり赤ちゃんの姿は見えず、稽留流産手術することに

    改めて、つらい表情
    それよりも、手術のために子宮に何かされたのが痛そうだった

    子宮頸管を広げる処置
    痛い、そう検索されている

     当時はまだ、この経験が1回目になることを知らない。

    9月はたぶん過去のノートに

    そして、9月にも同じ結果となった。

    2回目の流産、そして手術。

    今度は、赤ちゃんの姿、かすかに心拍もあった。らしい。のちに、エコー写真で見た。

    というのも、1回目の産婦人科は付き添いができたのだが、2回目のときは付き添いできない産婦人科だった。

    1回目と2回目の間に、引っ越しをしたので、別の産婦人科にお世話になったが、付き添いはできる方がいい。絶対に。

    このときは、スマホにメモを残していなかった。

    ショックすぎて言葉もなかったのだろうか。

    あまり思い出したくもない。

    今、当時を思い出して書こうとしているのだが、

    感情的になるな。

    事実だけを書け。

    経験した当時のほうが冷静でいられた。

    やはり当時にそのままのことを書き残していた方が、間違いがない。

    今書こうとすると、どうしても事実と感情と願望がごっちゃになって、すべてが嘘のような気がしてくる。

    今、書き残しておきたいのは。

    付き添いできる産婦人科がいいこと

    エコーで赤ちゃんを確認できる喜びも、もし流産だったときに、その重い現実を受け止めるのも、夫婦2人のほうがいい。

    2回以上の流産は、不育症の可能性があること

    妊娠ができない不妊症とは別に、妊娠はするものの、何らかの原因でお腹の中で赤ちゃんが育たないこともある。

    妊娠しても、2回以上流産、死産を繰り返した場合、不育症と呼ばれる。

    検査をしてみて、原因が分かればいいが、分からないことも多い。

    妻も私も異常なしだったが、ではなぜ2回続けて流産したのかは、分からない。

    そうなると結局は、確率の問題となる。

    流産の確率を下げるために、できることをする。

    妻と私でいうと、葉酸、漢方、薬の服用、インフルエンザや感染症の予防接種、身体を冷やさず、血流を良くするなど、健康的な生活を心がけるのだ。

    ストレスにならない程度に。

    あとは回数を重ねるしかない、と先生に言われたらしいが。

    そういうものだろうか。

    流産も手術も、夫が想像している以上に、妻は心身ともに傷ついているということ。

    ここまで私は、流産と手術の経験を、妻と自分のこととして書いてきた。

    妻が流産した、ではなく、妻と私が経験したのだ、と。

    そうすることでしか、妻に寄り添えないのだ。

    現実は、すべて妻の身体で起こっている。

    流産も、手術も。

    私は想像することしかできない。

    いや、想像することもできない。

    私はそれを、一度も体験できないのだから。

    どれほど辛くて悲しいか、どれほど痛いか、妻と夫の間には、雲泥の差があることを忘れてはならない。

    申し訳ないことに、私はそのことを失念して、さらに妻を傷つけてしまったことがある。

    妻と自分、ショックなことへの対処の仕方はそれぞれ違う。

    私は、他事を集中的に考えて、すぐに忘れようとしてきた。

    妻は、そのことをより深く考えて、悩んで、苦しんで、つらい思いをして、そんな中でもお仕事して、十分な時間を経ることで、乗り越えてきた。

    結果的に、立ち直る時間にズレが生じて、私の安易な発言が妻を不安にさせてしまったのだ。

    非常にむつかしい課題であるが、単純でもある。

    寄り添う気持ちを忘れないことだ。

    これから

    検査の結果が異常なしとなれば、また妊娠を目指して進むことができる。

    しかしそれは同時に、流産への不安と手術の痛みを思い出させることになる。

    私にできることはなんだ?

    自分に問い続けよう。

    できることをして、妻に寄り添い、笑顔で、元気な赤ちゃんを迎える。

    がんばろう。

    それでは、お達者で。

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  • 何気ない出来事が幸せであり美しい。そして、おならのように儚い

    日が昇るのが遅くなった。

    朝が暗い。

    そして寒い。

    ポケットに手を突っ込んで暖を取る。

    バスに乗ってから書き始める。

    6連勤を乗り越えた。

    2日のお休みがあった。

    妻はお仕事だった。

    お休みは何もできなかった。

    やらなきゃいけないことがあったはずなのに。

    映画を流しながら、ソファでぼんやりしていた。

    首が痛かった。

    暖房をつけているのに、なぜか寒く感じた。

    何かないか。

    髪が伸びてきた。

    2人で買い物に行った帰り道、妻が、幸せだなぁと呟いた。

    そう。

    昨日の夜、妻のお仕事が終わって帰ってきてから、2人で買い物に行ったのだ。

    私は休みだったが、買い物もしていなかった。

    お互いに疲れているから、お惣菜でいいか、お惣菜がいいな、となった。

    天ぷらの盛り合わせと唐揚げ、サバの塩焼き。

    値引きシールを狙う私は、ハイエナのごとし。

    無事に買い物が終わって、歩いて帰る。

    真っ暗な夜道、2人は手を握っていた。

    ひとしきり、寒い寒いと言ってから、ふと妻が呟いた。

    幸せやなぁ。

    え。

    いや、幸せやなと思って、かみしめてた。

    せやでぇ幸せやでぇ。

    嬉しかった。

    そのときは、ただただ嬉しくて、笑顔で帰宅した。

    家でお惣菜を温めているとき、さっきの帰り道を思い出して、嬉しいとは別の感情があることに気がついた。

    尊かった。

    寒い冬の夜、近所のスーパーでお惣菜を買って、妻と2人で、手をつないで歩いて帰ったこと。

    何も特別なことはない、日常の一コマ。

    そのワンシーンで彼女は、幸せだと呟いた。

    それだけでよかった。

    それだけで私の心を暖かくし、印象深く、記憶に残る名シーンとなったのだ。

    それが、とても尊かった。

    たぶん妻は、覚えていないだろうし、忘れるだろう。

    それもまたいい。

    何気ないのだ。

    幸せとは、本当に、何気ないものだ。

    何気ないことが、とても、美しい。

    妻よ、あなたは美しい。

    ずっと一緒に、2人笑顔で過ごしていきたい。

    直接は言えないけど、ここでなら。

    おなら。

    恥ずかしくなってきたので、消す前に投稿しちゃお。

    それでは、お達者で。

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  • 人との想像力のやり取りは、ちょっと嬉しい体験である

    昨日はケーキを買って帰った。

    帰りが遅かったこともあり、コンビニで買ったのだが。

    そこで、ちょっと嬉しいな、と感じたことがあったので、残しておきたい。

    長かった1日。

    昨日もお仕事疲れた。

    仕事中ぐったりしながら、長いなあ、と、ため息。

    そんな1日の帰り道。

    妻から連絡があった。

    今日は記念日だから、コンビニでもいいので、ケーキを買ってきて欲しい。

    とのこと。

    そう。

    何を隠そう昨日は、私たち夫婦が付き合い始めて、6年と5ヶ月の記念日だった。

    毎月28日は記念日として、ケーキを食べてお祝いしている。

    おっしゃ買って帰るか、と私は最寄り駅まで帰ってくると、近所のコンビニへ足を向けた。

    1軒目、2個入りのケーキを2つ、スプーンが2本

    あらかじめ買おうと思っていたコンビニの前に、もう一軒、別のコンビニがあった。

    今後のためにもケーキの品揃えを確認しておこうと、立ち寄る。

    「いらっしゃいませ!」

    店員さんの元気な挨拶が聞こえてきた。

    コンビニにしては珍しいなあ、と感じつつ、さっそくデザートのコーナーへ。

    おお、あるある。

    すぐに見つけたのは、「バスク風チーズケーキ」2個入り。

    これは美味しそう。

    甘いものが苦手な妻でも、チーズケーキは好きだ。

    しかし、その隣にあるケーキに、チョコの気配がした。

    甘いものに目がない、私のチョコセンサーが反応している。

    よく見ると「トリフルケーキ」の文字。

    トリフルケーキ?

    調べてみると、ガナッシュに杏ジャムがサンドされたザッハトルテのようなケーキ、とな。

    おじさんには横文字は分からんよ。

    不二家のケーキなので、間違いなく美味しいだろう。

    え、これも2個入りやん。

    これにする?

    しかし、冒険すぎないか?

    ここは無難にチーズケーキでは?

    瞬時に脳内会議が開かれた。

    もう一軒、行きたいコンビニがあるのに。

    まあ、記念日だし。明日も食べればいいし。

    結局、己の欲望に抗えず、いや、素直にどちらも食べたくて、両方買うことにした。

    レジにて先程の元気な店員さん。

    ハキハキと丁寧な接客をしてくれた。

    一緒にお祝いしてくれているみたいで、なんかちょっと嬉しかった。

    デザートスプーンを2本、入れてくれた。

    2軒目、2個入りのケーキを2つ、フォークが4本

    次のコンビニに向かった。

    もうすでにケーキは手に入れているので、正直、消化試合だ。

    まあ一応、確認しておこうと思った。

    コンビニに入るとすぐに、食パンが置いてある。

    いつもの割引シールチェック。

    お、1つ発見。

    買おうかなー、どうしよかなー。迷いながら、とりあえず目当てのケーキを探しにデザートコーナーへ。

    あったあった、とすぐに目に飛び込んできたのは、「生チョコモンブラン」の文字。

    な、生チョコモンブラン、だとぉ……!

    なんて甘くて美味しいそうな響き。

    となりには王道の苺のショートケーキ。

    こちらのほうが、甘いものが苦手な妻も美味しく食べられる。

    しかし、生チョコモンブラン。

    どう考えても甘い。

    甘いものに目がない私には分かる。

    これは甘い。

    私にだけ甘いやつや。

    妻はたぶん、食べれなくはないけど、甘すぎて眉間にシワを寄せるだろう。

    え、どっちにする……?

    どちらも2個入りだったので、どちらか一方を買えば2人で楽しめる。

    は? でもさっきのコンビニでもう買ったよね。

    バカヤロウ! お祝いには、苺のショートケーキがピッタリだろ!

    え、でも、生チョコモンブラン……

    自分だけが美味しい思いをしていいのかい?

    葛藤。

    私の中の天使と悪魔が言い争っている。

    傍から見れば、むさくるしい男が、2個入りケーキが2つ、つまり合計4個のケーキが入った袋を片手に、ケーキの前で、呆然と立ち尽くしている。

    どんだけケーキ買うねん。

    買いすぎよ。お給料も少ないのだから、我慢すべきよ!

    天使が忠告。

    どっちも買っちまえよ!

    悪魔のささやき。

    うん。どっちも買うわ。

    今日、お仕事がんばったし。明日もがんばるし。

    疲れた脳に、甘いものへの抑制はきかない。

    いい勉強になったな。

    私はカゴを手に取り、さきほどの割引シールのついた食パンと、苺のショートケーキ、生チョコモンブランを入れて、レジに並んだ。

    ちょっと嬉しい話

    やっと本題に入る。

    2軒目のコンビニでお会計をしているときだった。

    大学生くらいかな、若い男性の店員さんが、商品をスキャンして、ポイントカードを読み込んで、一瞬迷ってから、こう聞いてくれたのだ。

    「フォーク……4つでいいですか?」

    あ、はい。人見知りの私は目を合わせることもできず、小さく頷くしかできなかった。

    この何気ないやり取りが、そのときは特に何とも思わなかったのだが、今になっても、すごく記憶に残っているのだ。

    なぜだろう、と考えてみたの。

    ケーキは夫婦でいただくので、フォークの数は、本当は2本で足りる。

    そんな事情を店員さんは知るわけもなく、2個入りのケーキを2つ買うから、4本のフォークを入れてくれたのだろう。

    ケーキが全部で4つあるのだから、4人で食べるはず、と、あの一瞬で判断したのかもしれない。

    しかし、2個入りのケーキ2つ、つまり商品は2つだから、フォークも2本にする、という選択もあったはずである。

    実際に、1軒目の元気な店員さんが入れてくれたのは、デザートスプーン2本だった。

    それだけでも十分有り難い。

    ということは、普通は2本でいいところを、4本入れてくれたから嬉しかったのか。

    いや、ちがう。

    買う商品を見て、一瞬の間があって、4本でいいですか、という提案をしてくれたのが、嬉しかったのだ。

    店員さんがどういう想像をしたのかは分からないが、その「想像する」というのが大事な気がする。

    2個入りのケーキを2つ買うお客さん。

    全部1人で食べるのかもしれない。

    仲の良い2人で分け合うのかもしれない。

    4人でプチパーティでもするのかもしれない。

    想像力って面白いよね。

    それが人から人からへ、無意識のうちに、やり取りされたら、ちょっと嬉しいよね。

    そんなふうに感じる出来事だった。

    一番最初はチーズケーキを食べた。

    美味しかった。

    残りのケーキも楽しみである。

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