検査結果、異常なし。次に進むために、書き残しておきたいこと

昨日、妻と私の検査結果が出た。

特に異常なしだった。

何か難しい項目が基準値より低く、血行をよくする必要はあるものの。

葉酸や漢方、薬を服用することで、改善できるとのこと。

何の検査か。

妊娠に関する検査である。

この検査結果によって、ようやく次の一歩を進めることができる。

その節目に、書き残しておきたいことがあるのだ。

妻と私は、今年(2023年)のうちに、2回の流産と2回の手術を経験した。

3月のメモ

以下は、私が今年3月にスマホに残した文章である。

一応、日付は伏せておく。

2023/03/XXの出来事

妻の健診
お腹の中を見ると、袋だけが大きくなっていて、赤ちゃんの姿がなかった
7週に入ると、胎児の心拍が確認できるらしい
妻の場合、それがまだだった
それは、つまり
来週、もう一度確認することになった

家に帰ると、妻はじゃがりこを食べ始めた
二人とも無言で、じゃがりこの咀嚼音だけが部屋に響く

妻はスマホで、今の自分の状況を調べた
6週 心拍 確認できない
7,8週にならないとまだ、わからないこと
流産の可能性があること
他にも同じように検索したり、不安になっている人がいる
妻は頷いていた

妻は泣いた
私も呆然としていた
どういう言葉を発するべきかわからなかった
ただ、無理に励ますことはせず、寄り添うことを心がけた
悲しい、悔しい
まだわからない、いやたぶんダメだろう
今回ダメでも次がある
それでも、私から先に、自分の気持ちを言ってみた

すると、妻も話してくれた
袋の中が何もなくて、驚いた
自分ができるのはここまでなのか
ズボンがきついのに、変えなかった、お腹が苦しかったのに
自転車に乗ってしまっていた
葉酸を取らなかった
もっとできたことがあったのではないか

自分を責める
でも、妊娠初期の流産は、受精卵の問題と聞いた
母のせいではない、と
わかっているだろう
それでも、そう考えてしまうのは、母だからか

力が抜けた、妻はつぶやいた
自然と涙が出てくると言った
前向きにならなきゃという気持ちもある
変なテンションになる

妻は私との子どもがほしいと訴えた
二人ほしいと
私は頷いた(泣いて話していたので、子ももになっていたのはお互いに少し笑った)

無理しなくていいと言った
私には晩ごはんのパスタと発酵しないフォカッチャを作ることしかできなかった

二人でボロネーゼを食べて、お風呂にも入らず、すぐに眠りについた

〈別の日〉

やはり赤ちゃんの姿は見えず、稽留流産手術することに

改めて、つらい表情
それよりも、手術のために子宮に何かされたのが痛そうだった

子宮頸管を広げる処置
痛い、そう検索されている

 当時はまだ、この経験が1回目になることを知らない。

9月はたぶん過去のノートに

そして、9月にも同じ結果となった。

2回目の流産、そして手術。

今度は、赤ちゃんの姿、かすかに心拍もあった。らしい。のちに、エコー写真で見た。

というのも、1回目の産婦人科は付き添いができたのだが、2回目のときは付き添いできない産婦人科だった。

1回目と2回目の間に、引っ越しをしたので、別の産婦人科にお世話になったが、付き添いはできる方がいい。絶対に。

このときは、スマホにメモを残していなかった。

ショックすぎて言葉もなかったのだろうか。

あまり思い出したくもない。

今、当時を思い出して書こうとしているのだが、

感情的になるな。

事実だけを書け。

経験した当時のほうが冷静でいられた。

やはり当時にそのままのことを書き残していた方が、間違いがない。

今書こうとすると、どうしても事実と感情と願望がごっちゃになって、すべてが嘘のような気がしてくる。

今、書き残しておきたいのは。

付き添いできる産婦人科がいいこと

エコーで赤ちゃんを確認できる喜びも、もし流産だったときに、その重い現実を受け止めるのも、夫婦2人のほうがいい。

2回以上の流産は、不育症の可能性があること

妊娠ができない不妊症とは別に、妊娠はするものの、何らかの原因でお腹の中で赤ちゃんが育たないこともある。

妊娠しても、2回以上流産、死産を繰り返した場合、不育症と呼ばれる。

検査をしてみて、原因が分かればいいが、分からないことも多い。

妻も私も異常なしだったが、ではなぜ2回続けて流産したのかは、分からない。

そうなると結局は、確率の問題となる。

流産の確率を下げるために、できることをする。

妻と私でいうと、葉酸、漢方、薬の服用、インフルエンザや感染症の予防接種、身体を冷やさず、血流を良くするなど、健康的な生活を心がけるのだ。

ストレスにならない程度に。

あとは回数を重ねるしかない、と先生に言われたらしいが。

そういうものだろうか。

流産も手術も、夫が想像している以上に、妻は心身ともに傷ついているということ。

ここまで私は、流産と手術の経験を、妻と自分のこととして書いてきた。

妻が流産した、ではなく、妻と私が経験したのだ、と。

そうすることでしか、妻に寄り添えないのだ。

現実は、すべて妻の身体で起こっている。

流産も、手術も。

私は想像することしかできない。

いや、想像することもできない。

私はそれを、一度も体験できないのだから。

どれほど辛くて悲しいか、どれほど痛いか、妻と夫の間には、雲泥の差があることを忘れてはならない。

申し訳ないことに、私はそのことを失念して、さらに妻を傷つけてしまったことがある。

妻と自分、ショックなことへの対処の仕方はそれぞれ違う。

私は、他事を集中的に考えて、すぐに忘れようとしてきた。

妻は、そのことをより深く考えて、悩んで、苦しんで、つらい思いをして、そんな中でもお仕事して、十分な時間を経ることで、乗り越えてきた。

結果的に、立ち直る時間にズレが生じて、私の安易な発言が妻を不安にさせてしまったのだ。

非常にむつかしい課題であるが、単純でもある。

寄り添う気持ちを忘れないことだ。

これから

検査の結果が異常なしとなれば、また妊娠を目指して進むことができる。

しかしそれは同時に、流産への不安と手術の痛みを思い出させることになる。

私にできることはなんだ?

自分に問い続けよう。

できることをして、妻に寄り添い、笑顔で、元気な赤ちゃんを迎える。

がんばろう。

それでは、お達者で。

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