2022-05-18日記

自分は何がしたいのだろう。
「したいこと」と「できること」はちがう。
「したいこと」は「できるようになりたいこと」か?

私は何をしているのだろう。
「していること」と「したいこと」はちがう。
「していること」は「できること」か?

何をそんなに考える必要がある。
何をそんなに悩んでいる。
自信を持て。

・・・

またそうやって考える。
自信を持つにはどうしたらいい?
そんなことを考えてやがる。

「持っている考え方」と「実際に生きること」はちがう。
生きることはもっと難しいように思う。
考えても仕方がないほどに。

生きていると考えられない。
考えていると生きられない。
そんな感じがする。

そう。
生きていると忘れてしまうのだ。
だから私は考えることを求める。

でも、それだと生活が続かない。
考えていると生きられない。
どうすればいいのか。

生きながらも考える時間を取る。
生きることも考えることも怠らない。
それこそ習慣ではないか。

「考えること」と「生きること」
この二つの両立と習慣化は可能なのか。
可能かどうかはともかく、私はそこを目指さなくてはならない気がする。
それが自分の信じる道となりそうな気がする。

気がするだけかもしれない。

やはり自信がない。

2022-05-18日記

どうも、おうちで入れるお茶は麦茶の人です。
実家では、ほうじ茶でした。
どっちもおいしい。

突然ですが、人を形作っているのは何でしょう。
私とは?

仕事、何してる人?
趣味、何が好き?
関係、周りにどんな人がいる?
思考、何を考えている?

たぶん他にもいろんな要素があると思います。
これらを単純に表して、入り口とすることによって、他の人に理解してもらいやすくなるのではないでしょうか。
という考え。

私は理解してもらいたいのです。
私という存在を。
しかし、私自身が自分のことをあまり理解していません。

何をしているのか、何がしたいのか。
何が好きなのか。
どんな人と仲良くしたいのか。
何を考えているのか。

複雑に考えすぎて、自分のことをうまく言い表せないのです。
また、それを望んでいるとも思えます。
自分は単純な人間じゃないんだぞ。
そんな強がり。

だから自己紹介も人付き合いも苦手なのかな。
自分は他人が理解できるほど簡単な人間じゃない。
だって自分でも理解できていないのだから。
そう思い込んで、独りよがり。

どんな人になりたいのだろう。
何がしたいのか。
何が好きなのか。
どんな人と仲良くなりたくて。
どんなことを考えるのか。

ちょっと考えてみよう。

2022-05-18日記

どうも、ベランダにバッタが出没して焦った人です。
ここは5階なのですが。
どこからいらっしゃったのかしら。
不思議です。

私がもし死ぬとしたら。
健康な身体じゃないとしたら。
何を思うのだろう。
どう感じるのだろう。

なぜか突然、そんなことを考えた。
なぜか、じゃない。
理由はある。
けど内緒。

死を現実として考えられない。
人はいつか死ぬというのに。
そのときになってみないと、自分のこととして考えられないようだ。
難儀だ。

いつ死ぬか、わからない。
わからないけど、今ではない。
そんな思い込み。
自己愛。

身体や心が弱り切っていたら。
しんどい、つらい、いっそ死にたい。
そう思うのかしら。
微妙。

死にたくない。
本来、こう思うはず。
生きたい。
生きていたいって。

老いて死ぬのか。
病気で死ぬのか。
事故で死ぬのか。

死は、わからない。

2022-05-18日記

どうも、最近モンハンワールドでいろいろな武器を試している人です。
最初はライトボウガン、次にハンマー、片手剣、操虫棍、さらにガンランス、太刀、チャージアックス。
いろんな種類を使えるようになると、より面白くなりますね。

さて、今日は何について書こうか。
モンハンばかりやっていて、全然考えていませんでした。

ネタを探してきます。

* * *

・・・考えてたら眠たくなってきました。
とりあえずコーヒー牛乳を飲みます。
冷たい、甘い、おいしい。
ありがとうコーヒー牛乳。

わかりました。

コーヒー牛乳の詩をつくります。

* * *

『いとしのコーヒー牛乳』

ゲームをしすぎた熱帯夜
おもむろに台所に向かう

冷蔵庫からコーヒー そして牛乳
二人は最初 別々の存在
そのまま別々に 飲むなんて大罪

今一つにしてあげる
コップに注ぐ 愛をもって
その瞬間に 思い積もって

コーヒーは4分の1 牛乳はそのあと
二人の位置 残す爪痕
混ざり合って 手を取り合って
コーヒー牛乳になるのさ

間違いじゃない それが君の色
最初のころとは 違う色
夢にまで見た 新しい世界

一口 僕に冷たい君
二口 僕だけに甘い君
三口 僕をやさしく包み込んでくれる君

何度でも 何度でも
君に触れていたい
いつまでも でもそうはいかない

また僕を置いて さよならするの?
最後の最後まで 僕に甘くしておいて
君がいなくちゃ そう伝えたくて
求めるほどに・・・

コーヒーは4分の1 牛乳はそのあと
二人は随一 そんな夢後
味わって 飲み干して
コーヒー牛乳になるのさ

* * *

なんだこれ。

2022-05-18日記

どうも、眠たい人です。
普通に眠たい。
・・・普通ってなんだろう。

雨が強く降っています。
台風です。
風の音も激しいです。
台風です。

お水が冷たくておいしいです。
冷蔵庫で冷やした水をコップに注ぎ、ぐびっと飲み干すと、喉がひんやりして気持ちいいです。
お水がおいしいです。
おいしい水。

部屋が暑いのでエアコンをつけています。
設定温度は28.5度で、自動運転。
十分涼しいです。
寒いと感じるときもあるほどで、そのときは29度にします。

先ほどから何の話をしているのでしょうか。
私にもわかりません。
でも、頭に浮かんだことを書いていくとこうなりましてん。
何で急に関西弁になったのかも、私にはわからないのです。

最近のマイブームの話をしよう。
最近は、質問箱の回答にハマっています。
質問を送ってくださった方々、ありがとうございます。
まだ送っていないというあなた。
あなたの質問をお待ちしております。

[blogcard url="https://peing.net/ja/tasakishino?event=0″]

なーんて。

匿名ですので気楽にどうぞ、お願いします。
私は真剣に考えて、真面目にお答えしますので。
たぶん、そのギャップが面白いんだろうなあ。

私宛でなく、バトンという回ってきた質問や運営からの質問もあるようですが、それもまた一興。

素直に楽しい。

2022-05-18日記

また熱が冷めていく。
知ること。
考えること。

人生の目的や仏教やデザインについて考えていた。
ネットで調べたり、本を読んだり、ノートに自分の思いを書いたり。
それが好きなんだと思って。

ところが、また。
ところが、どっこい。
ところが、よいよい。

頭の中からスッポリと抜け落ちたように。
考えていたことを忘れてしまっていた。
煮詰まったのか。

時間を置いたら、きっとまた同じことを考えるのだろう。
人生の目的とは?
時間は待ってくれないというのに。

今はゲームをやっている。
モンスターハンターワールド。
よくやるね。

あとは、YouTube。
こっちもよく見るね。
・・・。

逃げ道なんだろうなあ。
思考をこねくり回して。
こねくり疲れて。
大切なことから目をそらす。

人生にとってはどうでもいい。
だけど、きっと大切なこと。
そんなことから。

逃げている。

2022-05-18日記

私はどこにいるのか。

ここにいる。

本当にそうか?
絶対だと言い切れるか?

・・・当たり前だろう。

よろしい。
では、私はなぜ生きている?

私は、幸せになるために生きている。

よろしい。
では、幸せとは何か?

幸せとは、大切な人と一緒にいることだ。

よろしい。
では、その大切な人と一緒にいるといい。

ああ、そうする。

* * *

これはこれで、問題ない気がします。
私はなぜ人生の目的とか、幸福とか、そんなどうでもよさそうなことを考えているのでしょう。
何か考えずにはいられないのは、ただの癖なのかもしれません。

自分の人生に対する熱意がないのです。
生きる目的がないのです。
それが不満で、悲しくて、虚しくて。
私は考えます。

しかし、考えることに熱意があるわけではありません。
ただの逃げ道として考えている風を装っているだけです。
・・・たぶん。
なぜなら一向に答えが出ないのと、何度も同じことを考えているからです。

そう簡単に答えが出るわけではないこともわかります。
ただ、この問題を抜きにしても人生は続いていきます。
考えても考えなくてもよい問題に対して。
私は真剣でもなく、無視することもなく、考え続けているのです。

そんな私は、本当に空しいです。

どうも、空しい人です。
人生にとってどうでもいいけど、きっと大切なこと。
それを考えるのが好きです。

ただそれだけなんだよなあ。

2022-05-18日記

どうも、パソコンはWindows、スマホはAndroidの人です。
ちなみに、タブレットはiOSのiPad。
Appleに統一したいと思ったこともありますが、やはり使い慣れているものが一番です。

さて、なんだかんだでシリーズになっている「人生の目的とデザインの関係性」について。
前回は、人生の目的もデザインも「無私であり、無私でない」という状態が関係しているのではないか、というところで面白いなあと思いました。

https://tasakishino.com/zinsei-design-katei/

今回は、「無私であり、無私でない」とは、どういうことかを考えてみます。
無私とは、「私」というものが「無」いことです。
私が無いことであり、私が無いことでもない。
・・・わからんな笑。

私って何ぞや、という問題。
仏教では、私が私と感じているものはウソであると言います(田崎史乃の勝手な解釈の可能性あり)。
つまり、私なんてものは存在しておらず、ただ世の流れの中で生じているものなのです。
私はそれを私だと思い込んで、喜んだり不安になったりしています。

確固たる私は存在していません。
常に変化し続けている世と同じく、常に移ろいゆくものを仮に「私」としているだけです。
私のものと思われる肉体もまた、常に変わっていくものです。
だから、「これが私だ!」と言えるものは、どこにも「無」いのです。

・・・そんなこと言ったって。

私は自分の意志で動いているし、現にこうして考えながら文章を書いているわけだから、「私」が「無」いってことはないんじゃないか?

ですよねー。

「無私であり、無私でない」
この問題の注目すべきところは、「私」をどこに置いて考えるか、ということです。
つまり、たった一つの存在として考えるのか、全宇宙の一部分として考えるのか。

・・・何だか壮大な話になってきました。

ちょっと時間を置きましょう。

つづく。