カテゴリー: 日記

  • グッドモーニングサムネム

    寒さが痛い。

    肌が外の空気に触れると、すぐに冷たくなる。

    こうしてスマホを持っている手の指先とか特に。

    手袋必須。

    マスクがあって良かった。

    鼻水だらりを隠せる。

    おまけに顔周りが暖かい。

    目元だけが隠せない。

    冷たい、寒い、痛い。

    着込んでいても、寒いものは寒い。

    バスの温かさで眠くなってきた。

    足の指先が寒い。

    眠い。寒い。

    発車いたしまー。す

    それでは、お達者で。

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  • 欠かせないマスク、寒さ増すリスク

    ちょっと前に、マスクの話をした。

    昨日の帰り道、例のマスクが安かったディスカウントストアに行ったの。

    そしたら170円の50枚入りマスクは、なくなっていた。

    代わりに220円のものが山積みされていた。

    やっぱりね。

    50枚入りで170円は安すぎたもの。

    220円は、まあ、そのくらいかって感じだけど、十分、有り難い値段である。

    話は変わる。

    昨日から、なんか暖かくない?

    お天気さん、どうしたの?

    と思って、1週間の天気予報を確認したらさ。

    明日から最高気温が10℃以下になってんの。

    え、ちょっと待ってよ。

    ヤバくない? マジヤバくない?

    今日の最低気温が、明日の最高気温よ。

    パねぇな。

    そりゃあ、お空も雨を降らせて、心の準備を整えるもんさ。

    こちらとしても、「雨か」なんて言いながら、また季節が進むなあ、とか考えるわけよ。

    でもよ。

    そうは言ってもよ。

    気温差10℃は、やりすぎじゃあねぇか?

    急降下すぎるぜ。

    体調管理を今まで以上に、意識しなきゃならねえ。

    これは試されてるのか?

    お天気さんからの試練ってか?

    おっし。

    ほんならいっちょ、やったろうやないか!

    備えあれば憂いなしと言う。

    体調万全、防寒装備、心づもり。

    どれも完璧に仕上げたる!

    どうした、私の口調。

    それでは、お達者で。

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  • 買うときに忘れる自分を棚に上げる

    朝が暗い。

    夜みたい。

    向こうの空は、明るくなり始めている。

    朝が来る。

    昨日は、お休みだった。

    部屋の模様替えをした。

    リビングにあったスチールラックを台所に移動させた。

    台所の収納力アップ。

    その代わり、棚に収まっていた物が、リビングにあふれた。

    今、必要ない物は処分、処分。

    ……しょ、ぶん。

    あーだめだ、しんどい。

    ゴミ袋に一つ入れたところで、休憩。

    やれやれ、家具を動かすより、物を捨てるほうが大変だったとは。

    この感覚、物を買うときに思い出したいものね。

    ところで、ゴミ袋に何を入れたっけ?

    昨日の今日で、もう忘れている。

    恐ろしい。

    物に対する冒涜だ!

    物の受け入れもお別れも、もっと記憶に残るものであるべきだと思わんかね。

    そう思いたいね。

    でも。

    いざ買うとき、捨てるときには、そのことを忘れてしまう。

    困ったものである。

    とりあえず、捨てられるものは捨てて、悩ましいものは別の棚に積み上げ、押し込んだ。

    まさに、棚に上げる。

    また、今度のお休みに再開するとしよう。

    時間が経てば、捨てられるかもしれないし。

    うん、きっとそうだ。

    そうに違いない。

    ……そうだろう。

    ……そう、だよね?

    頼むよ、未来の私。

    それでは、お達者で。

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  • ゲーミングチェアが届いた(2脚目)

    昨日、自分のゲーミングチェアも届いた。

    わーい!

    お仕事の疲れも吹き飛ぶぜ!

    数あるゲーミングチェアの中から、私が選んだのは、AutoFull(オートフル)というブランドのもの。

    先日ご紹介したように、座面の高さや素材、あぐらで座れるなどを吟味して購入。

    ゲーミングチェアの決め手となる3つのポイント

    さっそく開けてみて思ったのだが。

    メーカーやブランドのロゴのデザインもかなり重要だな、ということ。

    AutoFullのロゴは、西洋の甲冑が描かれている。

    注文前に選んでいるときは、全く気にしていなかったが、いざ段ボールを開けてパーツを確認していると、チェアの背もたれに大きなロゴがあって、とてもインパクトがあった。

    え、いいじゃん。こういうの、好き。ってなった。

    私の厨二心をくすぐる、カッコいいデザインだ。

    チェアの背面にもロゴがあるので、部屋で後ろから見ても、存在感を放っている。

    これが、もし好きじゃないデザインだったとしたら……うう、おそろしい。

    まあ、ゲーミングチェアのロゴは、アルファベットのブランド名だけのものが多かった気がするから、そこまで問題にはならないだろうけど。

    目立つものは、それなりに気になると思う。

    結果的に、私の好きなデザインだったので、嬉しい誤算だった。

    妻のゲーミングチェアは、妻が好きなデザインを選んで購入したので、ロゴまで気が付かなかったなあ。

    慣れた手つきで、1時間もしないうちに組み立てた。

    座ってみると、やはり良い!

    これだよ、これが欲しかった!

    予想通り、あぐらでも座れるサイズ感。

    ファブリックの素材も、優しい手触りで心地良い。

    座っている間、ずっとニヤニヤして、ワクワクや嬉しい気持ちが溢れ出ていたと思う。

    だって嬉しいんだもん。しょうがない。

    ただ、やはり問題は、部屋と机が狭いこと。

    あと、脚のコロコロの動きが鈍い。

    これは床の材質との相性があるのかも。

    チェアマットを検討しよう。

    部屋と机の狭さは……まあ、なんとか。

    今、必要ないものを処分するしか、ないよね。

    それが難しい。

    せっかく良いゲーミングチェアを買ったんだから、心地良い部屋、快適な机周りを実現したい。

    今月、すでにお金を使いすぎているので、あとは片付けに専念しよう。

    絶対だぞ!

    え、でも、チェアマットほし

    絶対だぞ!!

    それでは、お達者で。

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  • ラジオ体操の思い出

    昨日は、仕事前にラジオ体操をやってみた。

    職場なので、音楽はなし。

    1人でもくもくと体操をした。

    ラジオ体操なんて、いつぶりだろう。

    大学? いや、高校生のとき以来?

    約10年前ぶりにやってみたラジオ体操。

    途中、次の動きは何だっけ? となりながらも、案外、身体は覚えていた。

    ラジオ体操自体が、次の動きにスムーズに移行できるようにできている、ということもある。

    中学生の頃、体育の授業で、指先まで綺麗なフォームでいいね、と先生に褒められたことを思い出した。

    体育の先生、怖かったけど、ちゃんと見てくれてたのね。嬉しみ。

    体育祭で準備運動のラジオ体操をする際、生徒全員の前に出て、お手本として体操したこともあった。

    その体育の先生に、やってくれへんか? と声をかけられたのだ。

    当時の私は陽キャだったので、緊張しながらも、上手いことやってのけた。

    ような気がする。ごめん、正直あまり覚えていない。

    思い出補正されてるかもね。

    懐かしい気持ちを抱きながら、ラジオ体操をしていると、寒くて縮こまった身体が、少しずつポカポカと温まっていった。

    これが血流を良くするということか。

    ふふっ、楽しい。

    気味わるく1人でほくそ笑みながら、ラジオ体操の動きを復習しようと、心に決めたのであった。

    目指せ、習慣化。

    それでは、お達者で。

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  • ゲーミングチェアが届いたのと、締め言葉について

    今朝は寝起きダルダル。

    体が重かった。

    モーニングルーティンをこなしたら、平気になったけど。

    昨日は、妻のゲーミングチェアが届いた。

    お誕生日には、まだ少し早いけど、ハッピーバースデープレゼント。

    置き配にしてたのだが、大きすぎて、帰宅したときのインパクトがすごかった。

    そして、めちゃ重い。

    これを上の階まで運んでくださった、配送業者様には申し訳ない気持ちになる。

    ありがとうございます。

    申し訳ないこと続けに、もう一脚注文している。

    すみません。助かります。

    ご飯を食べたあと、さっそくゲーミングチェアを組み立てた。

    パーツ一つ一つがしっかりしていて、そりゃ重たいはずだと納得。

    ネジと六角レンチも付属しているので、説明書に従って作業を進める。

    作業としては簡単なのだが、なんせ座面も背面も重たいもんだから、いちいち「よいしょっ」とか「ふんっ!」とか気合を入れないといけない。

    妻と協力できたからよかったものの、1人で組み立てるのは、かなり大変だと思う。

    途中、アームレストの向きに戸惑いつつも、1時間程度で完成。

    さて、座り心地ちのほどは……?

    めっちゃいい! 最高やないか! とのこと。

    うんうん、よかった、よかった。

    私もちょっとだけ座らせてもらった。

    座面、背面ともにクッションは硬めで、しっかりしている印象。

    こ、これがゲーミングチェア……良い! と静かに感動した。

    自分のチェアが待ち遠しい。

    ただ1つ問題が。

    デカい。

    いや、部屋と机が狭いのか。

    サイズは机の幅に、ほぼピッタリ。

    机の両側を棚で囲ってあるので、棚と棚の間にみっちり収まっている。

    この状態だと、アームレストと背面が棚にぶつかって、回転しづらい。

    机から後ろに下がれば、なんとかなるだろうけど、慣れるまでは大変かも。

    なにはともあれ、妻の満足そうな笑顔を拝むことができて良かった。

    自分のも満足できるチェアだったら嬉しいねえ。

    それでは、お達者で。

    あ、そういえば。

    この最後の挨拶的な「お達者で」というのが、今生のお別れではないよね? というお問い合わせをいただきました。

    ありがとうございます!

    これはですね。

    未来の自分や読んでくださっている方への、お別れの挨拶です。

    ちょいとややこしいんですけど。

    今、これを書いている私は、次の瞬間、過去の私となります。

    昨日まで書いてきた文章は、過去の自分のもの。

    過去の自分と今の自分を別人として捉えているわけです。

    そんな過去の自分から、未来の自分に向けて、「元気でいてくれよな」「達者でな」というメッセージを送ることは、後で読み返したときに、嬉しいかなと思いまして。

    …………。

    という、さもありそうな理由を考えてみたのですが、どうでしょうか。

    本当のところは。

    もし今後、また急に、自分がこのブログで文章を書けなくなったときのために、締めの挨拶だけは、ちゃんとしておいた方がいいかなと、少し思っただけです。

    わたくし、気分屋なものですから。

    それで文言はどうするか考えたとき、「またね」とか「さよなら」とかは、無責任すぎるよなあ、と。

    また会えないかもしれないし、はい、バイバイでは薄情すぎます。

    「達者でな」「お達者で」という言葉は耳にしたことがあって、ちゃんと意味を調べたら、とてもしっくりきたので、これを使うことにしました。

    誤解を生む言い方で申し訳ないです。

    でも、お達者で、と言われても、明日また会えたら嬉しいよね。私は嬉しい。

    お達者で、と言われて、それっきりでも、あの人は元気かなあ、くらいで、それほど心配にもならんでしょう。知らんけど。

    続いていく日常であれど、一つ一つ区切りをつけたい。

    そんな気持ちの表れです。

    あ、ちなみに病気とか、余命何ヶ月とかではないです。

    まったく健康で、このまま100歳までいっちゃう勢いで元気です。

    100歳になったとき、この文章を読み返して、「達者じゃよお!」なんて言えたら素敵だなと、そう思うわけであります。

    今日は昨日より暖かい1日になりそうです。

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  • 検査結果、異常なし。次に進むために、書き残しておきたいこと

    昨日、妻と私の検査結果が出た。

    特に異常なしだった。

    何か難しい項目が基準値より低く、血行をよくする必要はあるものの。

    葉酸や漢方、薬を服用することで、改善できるとのこと。

    何の検査か。

    妊娠に関する検査である。

    この検査結果によって、ようやく次の一歩を進めることができる。

    その節目に、書き残しておきたいことがあるのだ。

    妻と私は、今年(2023年)のうちに、2回の流産と2回の手術を経験した。

    3月のメモ

    以下は、私が今年3月にスマホに残した文章である。

    一応、日付は伏せておく。

    2023/03/XXの出来事

    妻の健診
    お腹の中を見ると、袋だけが大きくなっていて、赤ちゃんの姿がなかった
    7週に入ると、胎児の心拍が確認できるらしい
    妻の場合、それがまだだった
    それは、つまり
    来週、もう一度確認することになった

    家に帰ると、妻はじゃがりこを食べ始めた
    二人とも無言で、じゃがりこの咀嚼音だけが部屋に響く

    妻はスマホで、今の自分の状況を調べた
    6週 心拍 確認できない
    7,8週にならないとまだ、わからないこと
    流産の可能性があること
    他にも同じように検索したり、不安になっている人がいる
    妻は頷いていた

    妻は泣いた
    私も呆然としていた
    どういう言葉を発するべきかわからなかった
    ただ、無理に励ますことはせず、寄り添うことを心がけた
    悲しい、悔しい
    まだわからない、いやたぶんダメだろう
    今回ダメでも次がある
    それでも、私から先に、自分の気持ちを言ってみた

    すると、妻も話してくれた
    袋の中が何もなくて、驚いた
    自分ができるのはここまでなのか
    ズボンがきついのに、変えなかった、お腹が苦しかったのに
    自転車に乗ってしまっていた
    葉酸を取らなかった
    もっとできたことがあったのではないか

    自分を責める
    でも、妊娠初期の流産は、受精卵の問題と聞いた
    母のせいではない、と
    わかっているだろう
    それでも、そう考えてしまうのは、母だからか

    力が抜けた、妻はつぶやいた
    自然と涙が出てくると言った
    前向きにならなきゃという気持ちもある
    変なテンションになる

    妻は私との子どもがほしいと訴えた
    二人ほしいと
    私は頷いた(泣いて話していたので、子ももになっていたのはお互いに少し笑った)

    無理しなくていいと言った
    私には晩ごはんのパスタと発酵しないフォカッチャを作ることしかできなかった

    二人でボロネーゼを食べて、お風呂にも入らず、すぐに眠りについた

    〈別の日〉

    やはり赤ちゃんの姿は見えず、稽留流産手術することに

    改めて、つらい表情
    それよりも、手術のために子宮に何かされたのが痛そうだった

    子宮頸管を広げる処置
    痛い、そう検索されている

     当時はまだ、この経験が1回目になることを知らない。

    9月はたぶん過去のノートに

    そして、9月にも同じ結果となった。

    2回目の流産、そして手術。

    今度は、赤ちゃんの姿、かすかに心拍もあった。らしい。のちに、エコー写真で見た。

    というのも、1回目の産婦人科は付き添いができたのだが、2回目のときは付き添いできない産婦人科だった。

    1回目と2回目の間に、引っ越しをしたので、別の産婦人科にお世話になったが、付き添いはできる方がいい。絶対に。

    このときは、スマホにメモを残していなかった。

    ショックすぎて言葉もなかったのだろうか。

    あまり思い出したくもない。

    今、当時を思い出して書こうとしているのだが、

    感情的になるな。

    事実だけを書け。

    経験した当時のほうが冷静でいられた。

    やはり当時にそのままのことを書き残していた方が、間違いがない。

    今書こうとすると、どうしても事実と感情と願望がごっちゃになって、すべてが嘘のような気がしてくる。

    今、書き残しておきたいのは。

    付き添いできる産婦人科がいいこと

    エコーで赤ちゃんを確認できる喜びも、もし流産だったときに、その重い現実を受け止めるのも、夫婦2人のほうがいい。

    2回以上の流産は、不育症の可能性があること

    妊娠ができない不妊症とは別に、妊娠はするものの、何らかの原因でお腹の中で赤ちゃんが育たないこともある。

    妊娠しても、2回以上流産、死産を繰り返した場合、不育症と呼ばれる。

    検査をしてみて、原因が分かればいいが、分からないことも多い。

    妻も私も異常なしだったが、ではなぜ2回続けて流産したのかは、分からない。

    そうなると結局は、確率の問題となる。

    流産の確率を下げるために、できることをする。

    妻と私でいうと、葉酸、漢方、薬の服用、インフルエンザや感染症の予防接種、身体を冷やさず、血流を良くするなど、健康的な生活を心がけるのだ。

    ストレスにならない程度に。

    あとは回数を重ねるしかない、と先生に言われたらしいが。

    そういうものだろうか。

    流産も手術も、夫が想像している以上に、妻は心身ともに傷ついているということ。

    ここまで私は、流産と手術の経験を、妻と自分のこととして書いてきた。

    妻が流産した、ではなく、妻と私が経験したのだ、と。

    そうすることでしか、妻に寄り添えないのだ。

    現実は、すべて妻の身体で起こっている。

    流産も、手術も。

    私は想像することしかできない。

    いや、想像することもできない。

    私はそれを、一度も体験できないのだから。

    どれほど辛くて悲しいか、どれほど痛いか、妻と夫の間には、雲泥の差があることを忘れてはならない。

    申し訳ないことに、私はそのことを失念して、さらに妻を傷つけてしまったことがある。

    妻と自分、ショックなことへの対処の仕方はそれぞれ違う。

    私は、他事を集中的に考えて、すぐに忘れようとしてきた。

    妻は、そのことをより深く考えて、悩んで、苦しんで、つらい思いをして、そんな中でもお仕事して、十分な時間を経ることで、乗り越えてきた。

    結果的に、立ち直る時間にズレが生じて、私の安易な発言が妻を不安にさせてしまったのだ。

    非常にむつかしい課題であるが、単純でもある。

    寄り添う気持ちを忘れないことだ。

    これから

    検査の結果が異常なしとなれば、また妊娠を目指して進むことができる。

    しかしそれは同時に、流産への不安と手術の痛みを思い出させることになる。

    私にできることはなんだ?

    自分に問い続けよう。

    できることをして、妻に寄り添い、笑顔で、元気な赤ちゃんを迎える。

    がんばろう。

    それでは、お達者で。

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