カテゴリー: 日記

  • 私の身体は食パンでできている

    私の身体は食パンでできている

    また1週間が始まった。

    食パンがない。

    買いに行かなくては。

    私は何者かに取り憑かれたように、毎日食パンを食べる。

    4、5、6、8

    食パンは何枚切りが好き?

    私はね。ぜーんぶ好き!

    それぞれのいいところを書いてみよう。

    4枚切りは、

    なんといっても分厚い。

    カフェでは、これをトーストして、バターやマーガリンをベタベタに塗って食べるよね。

    はい、最高。

    5枚切りは、

    オールマイティ。

    食卓で、そのままでもトーストしても食べやすい。

    気分によって、さらに薄く半分に切ってサンドイッチも楽しめる。

    つまり実質10枚切りになる。

    8枚切りよりも薄くなるから、サンドしたジャムや具材を思いっきり堪能できる。

    はい、最高。

    6枚切りは、

    お得感がある。

    厚さが5枚切りとそんなに変わらないのに、1枚多いのか嬉しい。

    ハチミツを塗って、しばらく放置すると、染み込んだ層とパンの層がいい感じに半々になって、抜群にうまい。

    ハチミツがじゅわっと染みてて、少し固まった部分がサクッともしてて、パンのふわっと感も残っているの。

    はい、最高。

    8枚切りは、

    サンドイッチの手間が少ない。

    2枚使ってサンドイッチは当然。

    でもってオープンサンドにも最適なのだ。

    薄いから2枚食べるのも余裕ある。

    1枚は苺ジャムで、もう1枚はマーマレードを楽しむ、なんてことも可能。

    はい、最高。

    ここまで書いてみると、私が最も好きな枚数がわかった。

    6枚切りの熱量が違うからな。

    どんだけ6枚切りとハチミツが好きなんだよ。

    おもしろい。

    朝も食パン、昼も食パン

    朝の忙しい時間に食パンを食べるのは、実家にいたときからそうだった。

    トーストする日もあれば、そのままの日もある。

    マーガリンを塗る塗らない。

    苺ジャム、マーマレード、ブルーベリージャム。

    ハチミツ、ケーキシロップ、チョコレートシロップ。

    甘いのが好きすぎる。

    実家では母が、卵焼きトーストサンドも作ってくれて、あれも美味しかったなあ。

    社会人になって、カフェやパン屋さんで働いた経験から、さらに好きになった気がする。

    お昼ごはんにサンドイッチを持っていくのも、簡単でおいしいから。

    ひたすらジャムばかり塗っているが、飽きないのだ。

    本当に何かに取り憑かれているのかもしれない。

    食パンの価格

    こうも毎日食パンを食べていると、買いに行く頻度も高い。

    当然ながら、どこで買うかという問題も真剣な話になってくる。

    正直なところ、味には興味がない。

    食パンの素材で、食パンの形をしていれば、安いもので全然構わないのだ。

    今一番安いのは、税込み100円以下で買える。

    これを狙っていきたいが、売っているスーパーが家から少し遠いのが問題点。

    仕事帰りに寄ろうにも、疲れていると億劫になる。歩くのしんどい。

    そこで第2案は、税込み100円台。

    これは近所のスーパーの決まった日にある特売価格である。

    ここも狙いたいが、特売日と自宅の食パンがなくなるタイミングが合わないときがある。

    1回で1週間分買っておけばいいのだが、消費期限や他の買い物の量、冷凍の手間などを考えると、どうしてもその都度買う方が楽なような気がするのだ。

    さて最終的な妥協案は、税込み119円。

    ローソンストア100(通称:100円ローソン)である。

    これはいつでもある上、消費期限の近いものは、割引シールが貼られることもある。

    帰り道にお店があって、大変助かっている。

    ありがとうございます。

    気になる食パン、ライ麦ブレッド

    食パンを毎日食べていると、気になるのが栄養面。

    甘いジャムばかりつけて食べているので、心配になってくる。

    何か対策を、と思って調べていたところ、より栄養価が高い、ライ麦パンというものがあるという。

    買ってみたいけど、ちと高い。

    価格に見合う満足感が欲しいところだが、いかがなものか。

    一度、試してみようかと思っている。

    そんときは、またここで。

    てか、栄養が気になっても、食パンは揺らがないのな。

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  • 取っておけ 取っておけ 本当の楽しみ 取っておけ

    取っておけ 取っておけ 本当の楽しみ 取っておけ

    日曜日と月曜日がお休みだった。

    日曜日は、「 機動戦士ガンダム水星の魔女」を13話から最終話まで、一気見した。

    月曜日は、やよい軒に行って、妻の検査に付き添い、プラモデルとコレクショントイを買った。

    スマホで一気見は背中が痛い

    これは自分への戒めに。

    ずっと観たいと思っていた「 水星の魔女」を最後まで見た。

    内容や感想については、もう、なんかどうでもいい。

    途中2回泣いた。グエル生きててよかったとか、ここでナディム出てくるか……とか、いろいろぶちまけたい感情はあるけど。

    私の感想や考察なんかよりも大事なことがある。

    ソファに座って、スマホとイヤホンでアニメを一気に鑑賞する。

    これはダメだ。絶対に。

    1、2話程度ならまだしも、12話連続は身体が持たない。

    途中、トイレ休憩や軽食を挟んでいるものの、約半日も同じ体勢で、小さい画面を見続けるなんて、今考えたら非常に恐ろしい。

    恐怖だのに、やっちまったおかげで、次の日の身体のダルさったらない。

    背中が痛いし、目もしんどい。

    こんなことなら、1日に1、2話、少しずつ見ていけばよかった。

    アニメとソファとスマホとイヤホンには、何の罪もない。

    悪いのはすべて、この私だ。

    続きが気になるだろうから、最終回まで放送が終わってから、Prime Videoで一気に見たい、だなんて思うのがいけないのだ。

    ああ、もう!

    おもじろがっだああああぁぁぁぁっ!!

    ふぅ。

    ちょっとスッキリ。

    コレクションの沼

    これは、この先の自分への戒めだ。

    あれ、デジャブ?

    欲しいものがあると、全部揃えて、持っておきたくなる。

    この心理はいったいどこから来るのだろうか。

    私の場合、小さい頃からそうだった。

    ポケモンとかデジモンとかのカードやフィギュア、漫画を全巻揃えるのは、一般的にも当然だよね。

    なぜか、キレイな石を拾ったり買ったりして、ショーケースに飾ってたこともあったなあ。

    プラモデル事情

    今は、プラモデル。

    そしてもう一つハマりそうなのが、コレクショントイだ。

    まずプラモデルは主に、集めるというよりは、組み立てることが楽しみであるはずだが。

    販売方法としては、集めさせる仕組みになっているような気がする。

    ガンダムのプラモデルは、シリーズごとに登場する機体が多種多様なので、集めたくなるのは当然である。

    水星の魔女に関するガンプラだけでも、約30種類あるし。ちなみに私は、そのうち8種類くらい持ってる。

    さらには、カスタマイズ性が高いというコンセプトを謳ったキャラクタープラモデルも展開されている。

    メインで組み立てるキットに加え、オプションだけのキットも用意され、自分好みのバリエーションやアレンジを楽しむことができる。

    つまり、さらに楽しみたければ、集めろ、と。

    キットの価格が、1つあたり1,000円前後とはいえ、メインとオプションどちらも種類が多い上に、カラーバリーエーションもある。

    集めるとなると、それなりの覚悟が必要となる。

    金銭的に。部屋のスペース的に。

    はい、今ここに現在進行形で、覚悟を問われている者がおりますよ、と。

    プラモデルを集めている反面、組み立てることが追いついていない。

    由々しき事態である。

    組み立てることが楽しいはずなのに、集めることに苦しめられるなんて、やってらんない。

    ま、単純に早く組み立ててしまえばいいだけの話なのだが。

    部屋の中を圧迫されては、作業スペースの確保も難しくなるわけで。

    などという言い訳をしてしまう始末。

    これもそう。

    プラモデルと部屋の狭さには、何の罪もない。

    悪いのはすべて、この私だ。

    あれ、デジャヴュ?

    ランダム開封とその後

    そんな事情を知ってか知らずか、妻によって新たな世界への扉を開かされそうになっている。

    コレクショントイだ。

    その名の通り、集める玩具であり、箱の中身はなんじゃろな? 的なやつである。

    中でも妻は、中国の玩具会社である「 POP MART」のフィギュアにお熱だ。

    ブラインドボックスと呼ばれる中身がわからない箱に、デザイナーによって作られた可愛らしいフィギュアが、9〜12種類のうちランダムで1つ入っている。

    もちろん、デザイナーによってキャラクターが異なり、そのあたりは好みが分かれるだろう。

    1箱1,500円前後。

    この価格を高い見るか、安いと見るか。

    私も買ってみたが、正直かなり出来が良い。

    作りはしっかりしていて重みがあり、綺麗な色使いで塗り分けされている。

    妻も言っていた通り、インテリアとして部屋に飾りたくなる、良いものである。

    しかし、いい値がするなあ、というのも本音。

    ランダムだから、欲しいデザインが出るとは限らないし。

    なんなら全種類ほしいけど、そんなお金ないし。

    それにまた、部屋のスペース的な問題もある。

    欲しいものだけを買い続けたとしても、どこに飾るよ?

    買い集めることは楽しい。

    ランダムで、何が出てくるのか、ワクワクする。

    しかし、ただ集めることだけを楽しむ、というわけにもいかないのである。

    楽しみを完成させる楽しみ

    ここまでくると、何かを楽しむには、何かを犠牲にしなければならないのか、と思えてくる。

    がっつり楽しむには、それなりの覚悟が必要であると。

    身体面、金銭面、部屋のスペース面、上手くバランスを取って、楽しみたいものだが、なかなか難しい。

    中途半端で、趣味とは言えないな。

    上っ面だけの薄い楽しみかな。

    そんなふうに思ってしまう。

    それはそれとして受け入れて、満足できれば、まだマシなのだが、そうもいかないのが現実。

    うーん。

    1日中、この話のオチを考えていたが、まとまらなかった。

    とりあえず、いい方向へ進みますように。

    なんとかなれ〜

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  • 何かをもらったとき、最高のお返しは、喜んでいる姿ではないか

    何かをもらったとき、最高のお返しは、喜んでいる姿ではないか

    昨日、仕事帰りにスーパーに寄った。
    1週間の始まりだというのに、家に食材が玉ねぎとじゃがいもしかなかったからだ。
    キャベツ高いなあと思いつつ、ピーマンやらチーズやら牛乳やら、今週必要なものを買い物かごに入れていく。

    店内を半周したぐらいだろうか。
    1人のおっちゃんが声をかけてきた。

    「兄ちゃん、1000円以上買う? よかったらコレつこて。100円引きやで」

    私の前に差し出されたのは、このスーパーで使える割引券だった。
    急に知らない人から声をかけられたので、私は特性「人見知り」が発動した。割引券に目を落としながら、ちらりとおっちゃんの方を確認した。
    50、いや60代だろうか。日焼けした肌とリュックサックを床に置いているのが見えた。

    「へ?」戸惑いながらも、私はしっかりと割引券を受け取っていた。

    「1000円以上で使えるからな」
    「あ、はあ。ありぁとざっす」
    私なりの精一杯の「ありがとうございます」である。
    さらに、おっちゃんは
    「1000円以上買わないと使われへんから」
    と、念押しした。
    私は「あ、はぃ」としか答えられなかった。
    おっちゃんはレジの方へと去っていった。

    おっちゃんとのやり取りが終わって、割引券を片手に買い物を再開した。商品棚と割引券を交互に見ながら歩いていると、じわじわと割引券をもらった嬉しさが込み上げてきた。
    1,000円以上のお買い物で、100円引き。へぇ。ありがたい。

    結局、買い物の総額は、4,150円だった。そこから100円引きで、4,050円。
    え、なんかラッキー。普通に嬉しい。

    そう、嬉しかったのだ。ありがたかったのだ。

    買い物も終わって帰り道、おっちゃんに対する自分の対応を思い出していた。

    もっとちゃんとお礼を言っておけばよかった。
    割引券をもらったときの自分の反応、めちゃめちゃ薄かったよなあ。
    おっちゃん、少しガッカリしたかもなあ。もっと喜んでくれる人に渡したほうが、おっちゃんも嬉しかったかもしれない。

    自分のリアクションの薄さを反省した。

    私は感情をあまり表に出さないタイプだから。そんな言い訳も思いついたが、後悔している自分もいる。

    私が他人に何かをしてあげたとき、喜んでもらえたり、目を見て感謝の気持ちを伝えてもらえたりすると、自分もやはり嬉しくて、気持ち良いものだ。

    何かをしてあげる、してもらう、ってそういうことだよなあと思った。

    笑顔、大事に。

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  • 野帳に書きたい家計簿やスケジュールのフォーマットを決めあぐねている

    野帳に書きたい家計簿やスケジュールのフォーマットを決めあぐねている

    寒い。今朝は風がよく冷えている。ウインドブレーカーを着て正解だった。もうちょっと厚着してもいいかもしれない。寒い。

    さて、昨日はお休みだった。やりたいと思っていたことは、ほとんどできたのだが、1つだけ未完了のことが。

    家計簿の整理やスケジュールの管理である。

    私は普段、コクヨの測量野帳を持ち歩いている。2ヶ月前くらいからかな。
    これが案外よくて、これからもお世話になるつもりだが、この野帳に何を書くかが、最近のテーマとなっている。

    野帳を使う人をヤチョラーと呼ぶらしい。
    先輩ヤチョラーの使い方を参考にしたくて、ネットであれこれ調べてみたり、測量野帳が紹介されている本を読んでみたり。
    みんなそれぞれ使い方や書き方があって、非常に面白い。

    自分はどうしようかと悩みながら、実際に書いてみないとわからんな、とも思う。

    ただ、自分の性格に合ったやり方をしないと続かない、というのは確信している。これまでの自分がずっとそうだったから。

    続かないのだ。

    めんどうなのか何なのか、家計簿もスケジュールも続かない。このブログと同じ。それはおそらく、ノートの使い方や書くタイミング、その他の何かが、自分と合っていなかったのだ。

    だからこそ悩ましいし、やってみないと続けられるかもわからない。うーん。

    そういってまた、他所様の使い方を見に行って、満足してしまうのであった。

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  • 朝、バス停まで歩いている間に、昨日の自分を反省する

    朝、バス停まで歩いている間に、昨日の自分を反省する

    ブログをガチるよ。何回目だよ。ガチらないまま数日が過ぎた。

    アクション・トリガーを考えていたのだ。行動の引き金、アクション・トリガー。

    どうしたらブログを続けられるのか。考えていたら、そもそもブログを書くのってめんどうくさいよな、と思った。

    めんどくさいとやらないよな、自分ってやつは。

    なんでだろうな。

    「めんどくさい やらない」教えて、グーグル先生。

    こんなサイトが見つかりました。

    実は、やらない理由は「失敗が怖い」「やり方がわからない」ではなく「面倒くさい」ではないですか?

    めんどくさいと言ってやらないのは、人生を貧しくするらしい。ふむ。

    自分の人生の豊かさについて、改めて考えさせられた。

    心動かされた私は、関連記事を読み進め、めんどうくさいときの対処法を見つけた。

    生活の仕組みを作ろう。アクション・トリガーで。

    もともとある生活の習慣に、新しくやりたいことを組み込んでみるのだ。

    うん、前から知ってたよ。そんなことは。

    それすらも、めんどうくさかったのさ。……あれ? 疲れてるのかなあ。

    何事もやらない理由は、めんどうくさいから。

    だったらたまに訪れる、やる気の波に乗っかるしかない。

    乗った結果、習慣になるかならないかは、仕組みが作られているかどうかによる。

    今、仕組みを作ろうとする波が訪れた。乗っかるしかない。めんどくさいとか、やる気とかに左右される自分とは、おさらばだ。

    たとえばこんなアクション・トリガー

    まず、ブログを書きたい。書き続けたい。と思う。

    次に、いつ、どこで、どうやって、何から始める? を決める。

    最後に、朝、バス停まで歩いている間に、昨日の自分を反省する。というルールを定めた。

    そして、バスに乗ってから反省したことをブログに書いていこう。そういう算段だ。

    これが私にとってアクションのトリガーになるかは、これからやってみないとわからない。

    めんどくさがりの、自分との約束である。まずは反省することから始めよう。

    反省好きだからな、私。これなら続けられそう。

    で、さっそくなのだけど、昨日の反省やっとく?

    231025の反省

    朝食に久しぶりのシスコーン。マグカップに山盛り。

    お昼は菓子パンまつり。ボスのソイラテを添えて。

    夜はコロッケと卵焼き。いつも妻に感謝を。

    YouTubeでジャック・オ・蘭たんさんのゲーム実況を見て、AIのすごさに興味を抱いた。

    ジェラードンさんの動画で身悶えした。

    妻とマリオカートで遊んだ。

    最近は22時半を過ぎると眠くなってくるので、素直に寝てしまった。

    あ、あと株式投資の電子書籍を買った。セールで半額だったから。とはいえ、懲りないね。

    株式投資をガチるよ。なんて、笑えるけど、本気と書いてマジだからな!

    生活を快適に健康的に過ごすため、妻とのこれからのためにもお金がほしい。

    かといって、今以上に働くと心身ともに健康的でない。

    だったら、好きなことをしてお金を稼げるようになるか、投資するか。

    好きなことが見つからないから、投資をするしかない。

    浅はかすぎるかもしれないけど、とこか納得している自分がいる。

    何か勉強したいとも思っていたし、とりあえずやってみる。

    アクション・トリガーで。

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  • このブログに何を書こうかと

    このブログに何を書こうかと

    考えていたら、眠くなってきた。
    夜も遅い。
    今日から明日へと変わる直前。

    お布団の中で、ノートとペンを携えている。
    ノートはコクヨの測量野帳。
    ペンはゼブラのサラサ3。

    野帳のこと。
    ボールペンのこと。
    自分のこと。

    何を書くか。
    同時に、
    何を書かないか。
    判断している。

    スマホの充電がなくなってきた。
    省エネ機能が発動して、画面がすぐに真っ黒になる。
    めんどくさいな。

    きょうはもうおそい。
    あしたかんがえよう。

    おやすみなされ。

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  • つらいことはもう、したくない、やらない、てかできない

    つらいことはもう、したくない、やらない、てかできない

    ブログをガチるよ。
    何度言ってきたことか。
    続かない。
    せいぜい一週間。短くて3日。いや1日。
    あ、思っただけのときもあった。

    なぜ続かないのか。

    つらいからではないか。
    ブログを更新することは、大変なことだという認識がある。
    始めるのが億劫だ。

    身の回りには、他にもっと気楽なことがある。
    たとえば、YouTubeを見るとか、欲しいモノを検索するとか、お布団で横になるとか・・・ぐぅzzz
    だから、そっちを優先する。

    じゃあ、どうしろってんだい?
    やらなきゃいけないことを、やり始めるには。

    これはどうだ。

    気楽なことよりも優先できそうなことに、変換してみる。
    己の中に、楽しそうだな、やってみたいなと思う気持ちがどこかにあるだろう。
    その気持ちを、具体的で、より簡単で、より楽しめるような行動に変換できないか?

    そうだな。ブログで言うなら。
    ちゃんとした文章を、しっかりした構成で、誰かの役に立つように書く。

    と、考えるのではなく!

    ふと思いついた言葉や、発してみて心地よいフレーズ、いつか思い出したいことなどを、スマホやパソコンに打ち込む。

    今回はそうやって書き始めた。

    ブログを書きたいなあ、でも全然始められないなあ、なんでだろうなあ、と考えていたところに、

    つらいことはもう、したくない、やらない、てかできない

    こんなフレーズをふと思いついた。そしたらスマホのブラウザでWordPressを開き、ダッシュボードのホーム画面にある下書きのタイトル欄に打ち込んでみた。(ここまで書いて、消えたらイヤだから下書き保存しとこ)

    タイトルを打ち込んだら、内容の書き始めはどうする?

    どういった経緯で、こんなフレーズを思いついたかを書けばいいのさ。
    それはもう思いつくままに。

    そしたらここまで書けた。我ながら、久しぶりにしてはよくやっているじゃあないか。よしよし。
    なんて自分を褒めつつ、書くのを楽しんでいる。

    これでいいんジャマイカ?うわ急にオヤジギャグ出た。さむ。

    はい、いいと思います。

    こうやってまた、書くのは楽しいな、と感じられることが何より嬉しいし、次も書いてみようかなと思える。

    そうやって続けた先には、正直、何もない。
    大学生のときに2年くらい続けたけど、誰の役にも立たないし、やってる意味ないな、ってなって結局やめてしまったから。

    でも、そうじゃない。今はわかる。

    誰の役にも立たなくても、自分が楽しいと思えることが、どんなに素晴らしいことか!

    自分のために、書け。書き、楽しみ続けろ。
    それがお前の人生だ! といっても過言ではない。
    今の自分には、それしかできることがないのだから。

    新しいことをできるようになるには、つらいことが多すぎる。
    挑戦しても、結局できなくて泣きを見る。
    そんなのはもうイヤだ。やりたくない。やらないぞ。そもそも、できないしな!

    だったらさ。

    できることを楽しんでいる方がいいんジャマイカ? オヤジギャグならできるし、楽しいぞ。2回目はさすがにサムすぎるけど。

    楽しんでいる自分を、誰にも邪魔することはできない。自分以外の、誰も。

    いつだって、楽しんでいるところに文句をつけるのは、自分だ。
    こんなの意味ない、誰も求めてない、無駄ムダ。
    そんな思考で、自分は自分の楽しみを奪っていく。
    もしくは、楽しみは取っておこう、と心の隅にしまい込んでフタをする。

    楽しめよ! 楽しくなくないよ! お前のオヤジギャグ、俺は好きだよ!

    強い意志をもって、そう言い聞かせる必要があるみたいだ。
    ごめん、強い意志なんていらない。
    楽しみ続けて、慣れたらいい。
    慣れられたらいいなあ。慣れられるって慣れることができるってこと? むつかしいなあ。

    長すぎるから、今日はこのへんで、おしまい。

    いや、急!

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