自分を表現するということ

何か得体の知れないものを形にしようとしている。
うちに秘めたもの。心の中を渦巻くもの。
それは壮大であるかも知れないし、矮小であるかも知れない。

しかし、そんなことは私の知ったことではない。
ただ、日々を繰り返す中で溢れ出てくる感情なのか理性なのか、思考なのか情熱なのかわからないものを、見つめていきたいだけなのだ。
分類もめんどくさい。めんどくさいことはやらない。
行動が疎かになるから。

にしても、寒い!
もうTシャツに薄手のパーカーだけでダメだ!
昼は大丈夫かもしれないけど、朝は寒い。バスとか待ってるとき、じっとしてると寒い。もうダメ。早く来て、バス。

話を戻そう。

あとはどうやって行動するか。
道具と環境をどう整えるか。
iPhoneを使いたい。
1人になれる時間は限られている。
いつでもどこでも、というわけにはいかないが、隙を見て、1人の時間があれば、こうして何かを綴っていきたい。

写真も撮りたいし、動画も撮りたい。
これも、いつでもどこでも、というわけにはいかない。撮りたいものがあるか? 残したいものがあるか? いやいや、そんなこと考えずに、ただただ撮ればいい。

ここで終われば、本当にただのメモだ。
でもそれでいい。
他愛もない独り言を清書する必要がどこにある。
私はそれが好きだ。ほとんど何も加工されていないものが好きなんだ。

めんどくさいことは考えない、やらない。
自己満足でいいから、自分を表現することを続けていきたい。

この活動を何と言おうか。
自己表現というほど、高尚なものではないし。
活動と呼べるものでもない気がする。
無理に名詞をつくる必要もないか。
何かいいのが思いついたら、また。

うーん。やっぱりこうして文字を並べていくの楽しいぞい。
今度こそ続けたいなあ。
ゆるゆるのゆるとゆるとゆるくらいゆるく。

さて、これをどうやって公開するのか。

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