自分の軸を失い、それを受け入れてしまった場合どうなるのか。

真剣になる必要もないのではないか。
情熱も必要ないのではないか。
なんて。
そんなことを思ってしまう。
昨日の続き。

いろいろ考えて考えた結果、何もなかった。真剣さも情熱も。

私には打ち込めるものがない。
ないと思っているだけで、本当はあるのかもしれないけど。
自覚がない。
これさえやっていれば幸せです。
とか。
これだけが生きがいです。
とか。
そういうのがない。

あったらいいなと思う。
なくてもいいかなとも思う。
だって。
これさえ、とか、これだけ、とか。
“これ”がなくなったらどうなるのか、というお話。
私は幼稚園から高校2年までサッカーをやっていた。
サッカーが人生の軸となっていた。
これさえやっていれば良かった。
良かったのに。
高校2年のとき、そのサッカーをやめた。
高校最後の年は受験に専念、とかじゃない。
続けようと思えば、続けられた。
同級生のチームメートはみんな、高校最後の大会までがんばってたし。
でも、やめた。
やめて、私はからっぽになった。
サッカーをなくした私には、何も残っていなかった。
それからは何をやっても身が入らず、中途半端。
サッカーをやめたときから、私には情熱も真剣さも失われていた。

今となっては、こんな自分を受け入れてしまっている。
求め続ける人生か。
ほどほどに求める人生か。
どっちがいいのかなんて、決められない。
今のところは、求め続ける人生は疲れるという評価。
ほどほどに求める人生はラクだけど物足りないって感じ。
どっちもどっち。
結局決められない現状に甘んじている。

うん。
まあ。
いいじゃない。
って思うからダメなのかな。

いや。
ダメだ。
ちゃんとやろう。
反省と自己否定。
そして改善。
これこそあるべき姿ではないか。
よーし。

なーんて、やってらんなーい。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA