日々のこと

何も考えずに160日以上、ブログを毎日更新している意味とは

ブログを振り返って、ブログの目的を見つける旅。

を、する前に。

よく考えてみたら、私はブログで発信していたのではなくて、発散していたのかもしれない。
というお話。

何も考えてこなかった

このブログには、どんな想いがあり、誰のためにあるのか。
私は誰に、どんな価値を提供するのか。

そんなことは考えてきませんでした。
とりあえず毎日ブログを書くことだけを意識していました。

なぜか?
習慣化したかったから。
ブログを好きになりたかったから。

習慣化には成功しています。
ブログを好きになったかは微妙。

しかし、そもそもなぜブログを書き始めたのか?
それが問題です。

お金を稼ぎたかった

ブログを書き始めた理由は、正直に言うと、ノーリスクで始められて、努力次第でお金を稼ぐことができると知ったからです。

「自分の考えや誰かの役に立つ情報を発信したい!」
そんな気持ちは少しだけしか、持ち合わせていませんでした。

お金を稼げるらしい。
とりあえず始めてみよう、無職だし。
とりあえず習慣化して好きになってみよう。
そんな思いからスタートしたのです。

だからか、開始して1週間で、やる気がなくなり、今のスタイルになりました。
つまり、日々の出来事や考えたことを垂れ流しにする日記形式です。

日記からは何も生まれなかった

毎日、誰の役にも立つことがないような私の日記を書いてきました。
そんな内容で読まれるはずもなく、表示数は1日0か1、多いときでも10以下。

ここで、こんなブログでもご覧いただいている方々に感謝を。
本当にありがとうございます!

読まれることは少ないけど「まあいいや」と。
毎日更新を目標にしていたので「無理しないで続けること重視」と思っていました。

毎日ブログを更新していますが、今思うことは。
「何も生まれないなあ」
ということです。

そりゃそうです。
続けることが目標になっているのですから、それ以上は何もありません。
私には次の目標が必要だったのです。

やるべきことから逃げていたかった

次の目標が必要であることは、実は気づいていました。
80記事くらい更新したときくらいに。
毎日更新をし始めて、もうすぐ3か月というとき。

3か月続けることができた。
次の目標を設定して、それに向かって進むべきではないか?
そうして考えてみた結果。

「あれ? 私には何もなくない?」

ちょうどこのときくらい↓

毎日更新100記事を目前にして「どうしたらいいんだ!?」と叫びたいどうも、ブログを毎日更新して迷走している人です。 多分、こんなことばっかり考えたり書いたりしてるから変わらないんだろうと思います。...

自分は何を発信すべきなのか。
考えながらブログを更新してきて「人生の目的と向き合う」こともして。
それでも気づいたことは「自分には何もない」ということだけ。

「え、じゃあ、どうしたらいいの?」
となってしまった私は、それ以上考えることから逃げたのです。

「自分には何もない」というストレスを発散したかった

何もない。
何も生まれない。
何も見つからない。
もう「無理しない」でいこう。

最近になってそう思うようになり、自分の中でテーマが「無理しない」になりました。
お金を稼ぎたくてブログを始めたような気がするけど、自分には向いてないから無理しないで、今のまま自分の好きなことを好きなように書いていこう、と。

しかし、SNSで他の人がブログで稼いでいることや、確かな思いを持って情報発信している様子を見ていると、どうしても「もやもやした気持ち」が芽生えてきます。
この気持ちは、おそらく「自分も人の役に立つ情報を発信して、お金を稼ぎたい」というもの。

そこまでわかっていても、私にはそれができません。
だって、自分には何もないから。
情熱も志も理想も、人の役に立つ情報もスキルも、絶対にお金を稼ぎたいという欲望も。

何もないことに気づいてもブログをやめないのは、毎日続けてきた実績を捨てたくなかったのと、もやもやする気持ちを発散したかったから。
ブログを日課にすることで、無職である自分に仮の仕事を与え、もやもやした気持ちを紛らわせたかったのです。

わからなかった

何もないなら、努力すればいいじゃないか。
何かについて勉強する。
何かスキルを身につける。

それらのことはハッキリ言うと・・・面倒だ!

そう、私は人として終わっている。
「無理しない」じゃない。
「無理したくない」のだ。
何事においても。

わからないのだ。

人生の目的も生きる意味も生きがいも。

ぜひ聞きたい。

何で生きてるの?

何で今、そんなことしてるの?

誰かがそれに答えられたとしても、私はそれを受け入れらないだろう。
その答えはその人のものでしかないからだ。
自分の答えは自分で見つけるしかないのである。

私はその答えを見つけようとすることに疲れた。
しかし、見つかることを期待している。
だから生きているとも言える。

見つかれば救われる。
そうとさえ思える。

見つけようとすればするほど、見つからないことも知っている。
それでも見つけようとしてしまうのだ。
私はそういう人間なのだ。
そう決めつけてしまっていて、そんな自分を好きにも嫌いにもなれないのだ。

だから私は、

このブログを書いているのです。